C'EST LA VIE
夫婦二人気ままなヨーロッパ自転車旅行記
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Author:リットンマニア
結婚して3年、行けなかった新婚旅行が自転車でヨーロッパ、そしてバックパックでアフリカを回る旅になりました。ちなみに2人とも初自転車旅行&初長期旅行!どうなることやら。。



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やられた! Got pickpocket
本日2度目の更新ですが、やられてしまいました。

気をつけてはいたのですが、ついにすられました!

今日は天気も良かったし、旅をして4ヶ月やや中だるみで気が緩んでいたのだと思います。

でも、幸い被害は最小限。現金は15ユーロ程度と予備のクレジットカード2枚。その他R子の日本の免許などです。クレジットカードはすぐSkypeで日本に電話し、即効停止。クレジット被害は無し。

手口は、まず街中によくいるお金を恵んでくれと母親らしき人が僕に近寄ってきて、ずっと無視して断っていたが(この時点で2人で歩いていてR子には全くこず、僕のほうだけにずっと着いてきていたのが、今から考えれば怪しかった。)、信号で止まった時、かなり強引に2人の間に割り込んできて、それに気をとられている間に前にしていたウエストポーチを子供が開け中の財布を盗んだものと思われます。

プロ級の早業でした。

ただ、一緒のウエストポーチに入っていたデジカメは幸い盗られずほっとしてます。デジカメ盗られたらそうとうへこんでたかも。

サラエボ最終日の被害。

でも、サラエボは素敵な街です。是非機会があれば訪れてみてください。

明日はバスを7時間乗り、ドブロブニクへ行きます。早朝のバスに乗るため5時起きです。

丘の上からのサラエボの街。前に見えるのがイスラム墓地。
R1017021[1]

マニア

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1992 - 1995 Sarajevo
先日書いたとおり、wi-fi装備のモダンなカフェでブログを更新した後、戦争時唯一の外の世界との接点だった800mのトンネルを見学しました。

ガイドは、34歳と僕とほとんど変わらない年のサラエボ出身の青年。

彼は16歳の時に戦争が始まり、自分が生まれ育ったサラエボの町を守るために軍に入隊。

そのガイドからの紛争の様子を簡単にまとめると

・民族浄化(イスラム教の排除)を掲げたセルビア人のミルシェビッチの指示により、イスラム教住人がほとんどのサラエボが標的に。
・1992-1995の間はサラエボを囲む360度の山々がセルビア人の軍隊によって包囲され、そこからスナイパーによる銃撃と、爆撃により一般市民11,000人以上が死亡。多くは食料などの物資を求め外に出た際に攻撃をされた。サラエボ住民は突然の包囲で軍隊も、武器も何もなくただの市民が戦ったと言っていた。
・そのとき国連を含む国際社会は食料支給などの人道支援はしたが、戦争を止めることはしなかったこと。

など、いろいろ実体験を聞いたが、日本にいたとき僕はそのときちょうど中学~高校生だった頃。そんな”実感”がある最近にこのような無防備な市民を片っ端から殺していくということが起こったこの世界にショックを受けました。しかも、世界の果てのような場所で起こったのではなく、その戦争の8年前には平和の祭典オリンピックが開かれたような都市で起こったこのやりきれなさ。

前置きが長くなりましたが、そんな戦時中に唯一の外の世界との窓口だったのが今日見学した秘密のトンネルです。

一般住宅の地下に掘られたトンネル。
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内部の様子。
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このトンネルにより、食料、武器などの援助物資がサラエボに届けられたそうです。

そのガイドに「もしセルビア人にサラエボが降伏してたらどうなってた?」と聞いたところ、50万人の市民すべてを殺していただろうと答えていました。

やっぱり実体験などを聞くと本当にいろんなことを考えさせられます。普段戦争などに興味のないR子もなにやらネットでこの紛争について調べていました。。


とまぁシリアスな気分になった後、ホステルに戻り、先日仲良くなったアメリカ在住メキシコ人と街をぶらつくことに。

そして、LonlyPlanetに載っていたUnmissableのバーへ。

そこでの2人。
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その後、イスラムの水タバコを体験。本当に甘いにおいで、一緒に飲む紅茶に砂糖がいらないくらい。
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さらにその後、久しぶりの立派なレストランでの食事。どれもかなりうまかった~。
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なんだか充実した1日でした。

今日ももう1日サラエボStay。天気は微妙。暖かいアドリア海が恋しくなってきました。

マニア




サラエボ Sarajevo
最近自転車にあまり乗ってなくて、太り始めてきているマニアです。

さて、僕らはモスターからさらにバスに乗り、着いたのはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。

サラエボといえば、15年前の戦争で「世界で最も危険な場所」だった都市。

しかし、現在のサラエボは予想以上に復興が進み戦争前(どんな様子が知りませんが。)以上にコスモポリタンを取り戻しているように思いました。

町も非常に興味深い。特に旧市街はどこか川越を思い起こさせるような場所です。

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新市街の方はヨーロッパの雰囲気。おしゃれなカフェやショップ、レストランが立ち並びます。West meets Eastと言った感じです。
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公園で巨大チェスをする人々。周りの人がなんやかんや言ってかなり賑やかです。
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泊まったユースホステルは、何故かアメリカ人が多くびっくり。(今まで旅してきてアメリカ人はほぼ会わなかったのに。)

地元の人と話してないので、戦争の心の傷跡がどれほどあるか分かりませんが、町を見る限りは本当に明るく興味深いです。

今日は雨なので、これから戦争時多くの命を救ったと言われる秘密トンネルツアーに行ってきます。
このトンネルが唯一サラエボの外の世界との接点だったそうです。

マニア
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ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosnia and Hercegovina
髭を生やしだしてから、やたらと老けて見られるマニアです。

前回紹介できなかった、アドリア海沿岸の美しい写真からどうぞ。

海の水が驚くほど青くきれいです。夏にまた来たい!普通に泳いでる人もまだまだいます。
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海に浮かぶPrimostenの町。
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泊まった民宿からの眺め。贅沢な宿でした。夜、ボートで漁にも連れて行ってくれ、魚も頂きました。
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Splitの路地。この辺りの旧市街は道が細く、車も居ないので良い雰囲気。
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でかいパンをかじる少女。
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というわけで、アドリア海沿いを南下してきましたが、スプリトで雨&嵐で足止め3日間。そこで沿岸沿いに別れを告げ、バスに乗り10カ国目、ボスニアヘルツェゴビナへ入国。

ボスニア・ヘルツェゴビナといえば90年代の戦争を思い浮かべると思いますが、現在は安全上は全く問題なし。今居るMostarなどは欧米および日本人!観光客でごったがえしています。

ここはもはやイスラム国。モスクが立ち並びます。左のタワーがモスク。
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Mostarの有名なOld Bridge。戦争により破壊され、2004年に再建されました。17世紀の建造当時の素材と手法を使い再建されたようです。ビデオを博物館で見ましたが、再建には相当の労力が必要だった様です。
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そしてその橋から飛び込みをするおじさん。そういうクラブがあるそうです。高さ20mくらい?
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ボスニアンコーヒー
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こちらは今日は夏のように暑かったです。

バスを数時間乗るだけで、アドリア海からイスラム国へ。想像以上にバルカン半島は多様な場所だと思いました。

Mostar行きのバスで、リトアニアで会ったオーストラリア人と偶然再会。バックパッカーの世界は意外と狭いのかも。

マニア

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